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城谷英司

ぼく、サトルは、業界下位のレコード会社の制作スタッフ。会社が買収されることになったとき、憧れの先輩・キバの決意は、独立してバンドを立ち上げること。けれどメンバーはまだ2人。クセの強い候補者たちに翻弄されながら、理想のバンドをつくりあげる、前代未聞のバンドメンバー捜索ストーリー。

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#001 プロローグ(1)
2019-05-25

目が覚めた、会議室の中だった。照明は点いているが、誰もいない。とっくにスリーブになったPCに突っ伏す形で、いつのまにか寝入っていたみたいだ。デスクの上にはメモ書きが散らかっている。そうか、まだ仕事の途中だったな。 PCを立ち上げたら、右下に「02:45」と表示があった。サカモト主任が帰ったのは0時過ぎのはずだから、2時間半ほど経っていることになる。これはもう、居眠りとはいえない爆睡、ってやつだ。もう30時間以上、布団には入っていない。 「明日までに、それなりに形にしといてくれ」。サカモト主任はそう言って、ぼくを残してこの会議室を出ていった。そこまでは覚えている。すぐ眠り込んでしまったのだろう。サカモト主任の出社はいつも10時頃だから、それがリミットだが、もうメドはついているので、あとは書類にするだけだ。 喉の奥に嫌な粘り気を感じた。目覚ましついでに歯磨きでもするか。そう思って、ひとつ上のフロアにある洗面所に向かった。廊下でも階段でも、壁という壁にアーティストたちのポスターがべたべたと貼られている。よく見ると、隅が丸まっていたり、明らかに変色しているものも少なくない。合併の話が持ち上がってから、たくさんのアーティストがリリーススケジュールを見直すことになったらしい。そのことで、ずいぶん古いポスターもそのままになっている。けれど、色あせたポスターをそのまま放置していると、そのアーティストもくたびれたように見えてしまう。 3面ある洗面台の真ん中では、隣の制作部のニシオカさんが手を洗っていた。ぼくが鹿浜橋ミュージックに入ったとき、最初に配属された現場ですぐ上の先輩だ。あれから5年になり、それ以来は同じ現場になることはなかったが、いつも何かと目をかけてくれる。お、サトルじゃん。宮中しほりの件、なんか大変らしいな」 「ええ、まあ。昨日から徹夜っすね

宮中しほりは、2年前にアイドルグループを卒業し、ソロシンガーに転身した。これまでに3枚のマキシシングルをリリースし、ようやく14曲入りのフルアルバムを出すことになった。収録曲も決まり、オケのレコーディングは済んでいる。あとはボーカルレコーディングのあと、歌入れしてミックスダウン、マスタリングを経て、リリースとなる。プロデューサーの指示のもと、具体的な制作作業をマネジメントするのが、ぼくたち、レコード会社に所属する音楽ディレクターの仕事だ。

ボーカルレコーディングは6日間で8曲の予定だった。先行シングルの音源はそのまま収録するので、余裕を持ったスケジュールを組んだはずだった。2曲はプロデューサーからOKが出ている。あと3日で4曲、という段階になって、宮中しほり本人がインフルエンザにかかった。スタジオやレコーディングエンジニア、コーラスシンガーのスケジュールを組み直さなければならない。とんでもない仕事量に目がくらんだが、何とか立て直すことができそうだった。その見通しが立ったころ、サカモト主任が帰宅し、ぼくは睡魔に惨敗した、というわけだ。

「まあ、一応、ここでの最後の仕事だから、ちゃんと仕上げないと、とは思ってますけどね」

「ふーん、まあ無理はすんなよ。それより、オマエ面接まだなんだってな。どうすんの?」

「いや、ちょうど連絡しようと思ってたんですけど。近いうちに、メシいきません?」

明日夜、ニシオカさんとメシの約束を入れた。コーヒーを淹れて、会議室に戻る。とりあえずレコーディングスタジオのスケジュールを確認するが、頭には入らない。ぼんやりと考える。合併のこと、キバさんのこと。要するに、これからのこと。ニシオカさんになら話せるかも知れない。