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城谷英司

ぼく、サトルは、業界下位のレコード会社の制作スタッフ。会社が買収されることになったとき、憧れの先輩・キバの決意は、独立してバンドを立ち上げること。けれどメンバーはまだ2人。クセの強い候補者たちに翻弄されながら、理想のバンドをつくりあげる、前代未聞のバンドメンバー捜索ストーリー。

毎週月曜更新。

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#002 プロローグ(2)
2019-05-25

宮中しほりの件はなんとかメドがついた。サカモト主任が出社してからプランを示したら、あとは俺がやっとくから休め、との指示だった。進展してたらメールください、と言い残して会社を出る。

ぼくが所属している鹿浜橋ミュージックは、その名の通り、荒川にかかる環状七号線の橋、鹿浜橋のふもとにある。環七といえば、西のほうは自由が丘、三軒茶屋、下北沢などに近い一等地のイメージだが、中野区、練馬区、板橋区を経て足立区まで来ると、いかにも郊外といった雰囲気だ。ロードサイドには大型の小売店やファミリーレストランが立ち並び、東北道や常磐道などの高速道路につながる首都高のインターチェンジが点在していて、大型トラックや重機がひっきりなしに通る。いつも砂埃に霞む街。芸能界の空気はミジンも感じられない。

会社から家までは、荒川の堤防を自転車でゆっくり、20分ほど。3月ももう半ばを過ぎて、少しずつ春の空気に入れ替わろうとしている。こんな時期にインフルエンザって。尻ポケットのスマートフォンが、メールの着信音を何度も流していたが、立ち止まって確認したりしない。通勤のときはできるだけ自転車を降りず、まっすぐ駆け抜けたい。

アパートとマンションの中間のような自宅に着いた。とりあえずシャワーを浴びてから、厳重にカーテンを閉める。真っ暗でないと眠れない。昼夜が逆転することの多い仕事なので、南向きの日当たりの良さを恨めしく感じる。

ベッドに入ってスマートフォンをチェック。メールは4件。サカモト主任から、スケジュール調整が順調に進んでいるとの報告。ミヤタ部長から、合併前の面接スケジュールを組むよう指示。ニシオカさんから、今夜のメシの時間と場所。キバさんから、「お疲れ。今後のことは、宮中の仕事が終わったら話す。それまで面接は延ばせ」との指示だった。

鹿浜橋ミュージックは、日本の電機メーカーが立ち上げたレコード会社だ。ソニー、ビクター、東芝EMIなど、この国の音楽ソフトは、ステレオを作っている会社が、そのステレオで流すレコードも作る、という形で発展してきた面がある。こうした会社は、レコード業界への進出が古く、業界では老舗にあたることが多い。鹿浜橋ミュージックもそのひとつで、親会社はスピーカーユニットで世界シェア上位。けれど日本のレコード業界ではなんとか上位10社に入るくらい。大手3社を追う中堅グループの下のほう、といった位置にいる。

そんな我が社に、ロンドン発の大手メディアグループ、クリスタル・ホールディングスからの買収が持ちかけられた。音楽、映画、劇場公演などを世界展開するワールドメジャー。日本のレコード業界にも早くから参入しており、クリスタル・ミュージック・ジャパンは中堅グループの最上位。要するに、中堅上位が中堅下位に目をつけて取り込み、大手グループに迫っていく。鹿浜橋ミュージックはこの提案をあっさり受け入れた。6月末、鹿浜橋ミュージックは消滅する。

ぼくは制作部門の下っ端だから、上のほうでどういう話ができてるかはまったくわからない。それに、買収されたとしても、きっとやることはそんなに変わらない。アーティストを担当し、プロデューサーの指示のもとで制作スケジュールやスタジオ、スタッフやミュージシャンを手配して、売れる作品を世の中に送り出す。レコード会社の内部の制作スタッフというのは、そういう立場だ。

合併を前に、クリスタル側が、鹿浜橋ミュージックの社員ひとりひとり、200人ほどと面接し、合併後の人事の考えることになっている。スケジュールを組むようひっきりなしにミヤタ部長から指示されていたが、ぼくは適当に理由をつけて後回しにしていた。キバさんと話してからじゃないと、決められない。